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18:平民学校
~基本情報~
●名称:平民学校
●設立:1906年(現存せず)
●住所:山梨県西八代郡市川三郷町上野3552(山の家住所)
●メンバー:丹沢正作(故人)と近隣の農家の子弟
●事業:農家の子弟の教育
●特徴:丹沢正作の私塾で近隣農家の子弟に教育を施した
●代表:丹沢正作
●連絡先:Tell: Fax: Mail:
~概要~
平民学校は、1906年、山梨県で丹沢正作という人物が近隣の農家の子弟に教育を施す為に設立した私塾です。宮沢賢治の羅須地人協会と同様の活動ですが、こちらの方が設立は20年早いです。当時の日本では、知識人や篤農家らが設立した、同様の私塾が数多く存在しました。
~場所~
平民学校は山梨県西八代郡上野村という、甲府盆地南部の丘陵地帯にありました。近くの高台からは甲府盆地全体を見渡す事が出来ます。上野村は現在の山梨県西八代郡市川三郷町にあたり、「歌舞伎文化公園」の近くに、丹沢正作が修道庵として暮らした、家の復元があります。
~施設~
丹沢正作は近隣住民に「山の先生」と呼ばれ親しまれ、彼の家を復元した施設は「山の家」と呼ばれています。三珠農村広場の駐車場の裏手に細い道があり、その少し奥に広場があり、茅葺屋根の小さな小屋(山の家)と、顕彰碑が立っています。山の家の中には丹沢正作の写真や年表、資料が展示されています。
~人物~
丹沢正作という人物は1876年に山梨県西八代郡上野村で生まれ、東京専門学校(現在の早稲田大学)を卒業、上野村の役場の職員となり、地元で信用組合や小作組合、平民学校を設立して地域の子弟の教育にあたりました。彼はキリスト教徒であり、トルストイアンでした。有島武郎(狩太共生農団設立)や宮沢賢治(羅須地人協会設立)と通じるものがあり、作家の徳富蘆花(現在の蘆花恒春園設立)や、思想家の江渡狄嶺(百姓愛道場設立)と親交がありました。「土を愛し土を離れるな」をモットーに、地域社会の発展に尽くし、「山の先生」と呼ばれ、村人達の敬愛を集めたといいます。1926年、病気の為に亡くなりました。
ウェブサイト:http://www.town.ichikawamisato.yamanashi.jp/50sightsee/40map/(市川三郷町HP。
ページ中段、歌舞伎の表紙のPDFに観光情報。)