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23: 日向新しき村

~基本情報~

●名称:一般財団法人新しき村

●設立:1918年

●住所:宮崎県児湯郡木城町石河内1333

●メンバー:3人

●事業:農業、養豚

●特徴:文豪 武者小路実篤らが設立した、現存する日本最初の農業共同体

●代表:連絡先

●Tell: 0983-39-1139

 

~概要~

 新しき村は1918年、宮崎県で文豪 武者小路実篤と仲間達が「人間らしく生きる」「自己を生かす」社会の実現を目指して設立しました。後年、宮崎の「日向新しき村」はダム建設で大半が潰され、1939年、埼玉に「東の村」を設立、そちらに本拠地を移しました。ですが「日向新しき村」には今でも3人のメンバーが残っています。

 宮崎の山奥の渓谷の先のダム湖に囲まれた岬の先端に、開けた畑や放牧地が広がり、数件の住居が建っていて、農業や養豚、木工を営みながら生活していて、武者小路実篤の作品などを飾った記念館も敷地内にあります。

現存する日本の農業共同体としては一番古く、また、武者小路実篤が設立したという由緒ある農業共同体です。

 

~場所~

 日向新しき村がある宮崎県児湯郡木城町石河内は、宮崎県中部東岸から九州山地に向かい、20kmほど内陸に

入った山間部にあります。東九州自動車道を高槻ICで降り、木城町平野部から小丸川沿いに山地に向かって、

山間の渓谷沿いの県道40号線、22号線を走ります。小丸川を堰き止めた川原ダムの湖畔に石河内の集落があり、橋を渡ってダム湖に囲まれた岬の先端に向かって、林の中の細く曲がりくねった、舗装もない砂利道を降りると、開けた畑や放牧地があります。そこが日向新しき村です。

 

 

~施設~

 日向新しき村には、米を育てる田んぼ、野菜を育てる畑、豚を育てる放牧地、木工場、住居、新しき村記念館があります。米や野菜は有機栽培で作っていて、豚も屋外の広い放牧地で放し飼いで育て、木工場では家具等も作っています。住居も住人が自分達の手で建てました。新しき村記念館では、日向新しき村の歴史の紹介や、武者小路実篤の絵や詩の作品の展示を観る事ができます。現在、日向新しき村には老夫婦一組と男性一名の3人が暮らしています。

 

~歴史~

 明治後期から昭和前期頃、日本各地で作家や知識人、社会主義者が農業共同体や、農民・農家子弟向けの私塾を開きましたが、現在、新しき村以外は存在しません。また、戦後、日本各地で農業共同体や農業コミューンが結成されましたが、殆ど短命で終わってしまいました。その様な中で、2016年現在で設立98年、2018年には設立100周年を迎える、日本最初期の農業共同体にして、現存する日本最古の農業共同体が、新しき村です。

 1918年、宮崎県児湯郡木城村で武者小路実篤の「人間らしく生きる」「自己を生かす」社会を設立する構想に賛同した仲間15人が村を設立しました(日向新しき村)。周囲を山に囲まれ、三方を川に囲まれ、外部と村との行き来は船を使っていました。家を建て、畑を作り、武者小路実篤が著作や講演で村を紹介すると、賛同を集め、

全国各地に新しき村を応援する「支部」が設立されました。

 ですが、設立から約20年後、村はダム建設でダムの底に沈む事になってしまいます。そこで1939年、埼玉県

入間郡毛呂山町に1.3haほどの土地を得て、東京支部の協力のもと、「東の村」を設立、再出発を図りました。

 こちらでも家を建て、畑を耕し、自給用の米や麦や野菜を作り、牛や鶏も飼っていました。村人も徐々に増え、一番多い時では60人以上が新しき村で生活をしていました。

 一方、日向新しき村は数人しか住人は残っていませんでしたが、東の村から日向新しき村へ2人の村人が移り、その内の男性一人と、老夫婦一組が現在も住んでいます。

1918年の設立からもうすぐ100年を迎える「新しき村」。その発祥の地で静かに、しかし脈々と村の活動は続いています。

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